講 師 紹 介

主宰で講師の私マユミと、講師もする現五輪等強化指定プロスポーツ選手でもある娘ナナホのプロフィールです。

私は、幼少期運動が苦手で引っ込み思案(元プロスポーツ選手は勿論、ヨガやフラの先生だなんて想像もつかない!)。ここには、私のストーリー「幼少期から子育て期まで」を少しずつ(一番)下へ書き足していきますので、ご興味ある方は、遊びにきてくださいね🫣

主宰 兼 講師:都築真弓

鉄道車両メーカー(本社:一般事務)を退職後、プロスポーツ選手として活躍。
ハワイ大学教授公認の指導員、フラ指導歴11年。
ヨガ講師としての指導経験は現在進行形で約16年(アシュタンガ、アスリート、
きれいになる、リラックス、SUP)。また「夢叶う」「なりたい自分になる」講師実績。
👬のママ。一人は、現五輪等強化指定のプロスポーツ選手、一人は、春から大学生。

母親業は最高に楽しいながらも髪の毛振り乱し南船北馬!でも、そこにずっとあったのがヨガとフラ。大切な私の、家族の、柱❤︎

ヨガとフラは、勿論学び深き時間だけれど、ただ楽しく、ただ身体が真ん中から強く、エナジー溢れる瞬間。それらを仲間や家族と味わえる幸せ。

ここから繋がる皆さん、
本当に、出会ってくれて、ありがとう!!
大好きです!!

Mahalo nui loa ❤︎ Mayumi Tsuzuki

【work】
1997年 鉄道車両メーカー(本社事務職)退職
1998〜2002年 NWA公認プロウインドサーファー(ウェイブ プロ年間ランキング全年2位)
2002年 セラミックアートスクール卒業
2006年 ノエウラ開業
2008年 ヨガトレーニング145h 修了
2011年 アシュタンガヨガ初級指導者認定
2011年〜2014年 SUP全日本大会新舞子選手権 優勝&入賞
2014年 フラ指導者認定
2016年 マウイ島クムフラLuana Kawaa師事、Hula Hālau Kili ‘o‘ohuとしてスタート
2016年 全米ヨガアライセンス20h SUPヨガティーチャーズトレーニング修了
2018年 娘の"サーフィンで世界チャンピオンになる!"夢を応援するため田原市へ移住し、知多半島と渥美半島2拠点でフラとヨガを伝えはじめ、現在に至る。

講師:都築虹帆

https://www.instagram.com/nanaho_tsuzuki?igsh=MXluMmtuZjIxMTZw

【サーフィン】
幼少期から自然を心と体いっぱいに愛し、ハワイや、フラ、ヨガも暮らしの中にあり育つ。
身近な遊びの一つとして出会ったサーフィンでしたがいつしか夢へ。(今も尚揺るがない)その夢は、サーフィンのワールドサーフリーグ(やオリンピック)で世界チャンピオンになること。

全力で家族に伝え、全力で応援してもらい、中3になるタイミングで愛知県常滑市より、田原市へ移住。

【サーフィンの簡単な経歴】
2018 中3でJPSAプロサーファー合格
(2019ルーキーオブザイヤー、年間プロランキング2位)
2019より現在まで日本代表強化指定選手
2019より現在まで愛知県オリンピック、アジア大会強化指定選手
2019年日本代表選手として世界ジュニア選手権出場団体3位
2023-24、2024-25 ワールドサーフリーグ QSアジアチャンピオン

【ヨガ】
母の真似事からはじめたヨガも、ジュニアの日本代表選手になったり、個人としても世界の試合へ出始めていた頃には、サーフトレーニングのメインとして活用。
しかし、高校2年になる頃コロナ禍で試合がなくなるだけでなく、近所の海にも入れなくなるという苦しい状況下、主宰である母のアドバイスにより、(母と同じく)ケン・ハラクマ先生のティーチャーズトレーニングを受ける。
ヨガは毎日のコンディショニングや、トレーニングとして取り入れており、帰国時にはクラスを開催。

2020年5月 全米ヨガアライセンスRYT200取得
IYC T.T.200
(アシュタンガヨガ指導者、簡単ストレッチヨガ指導者、SLOW FLOW YOGA指導者、ヒーリング&リラクゼーションヨガ指導者、瞑想指導者、アーユルヴェーダ、きれいになるヨガ、ハタヨガ指導者、ラジヨガ体操指導者、ココロのバランスヨガ指導者、オリエンタルアジャストメントヨガ、どこでも誰でも健康10秒ヨガ指導者、リストラティブヨガ等)

【フラ】
4歳で習いはじめ、5歳と12歳の時にハワイ・マウイ島の学校へ通学。生まれた時から?!、海とハワイとフラも生活の一部にある暮らし。

帰国時には、タイミングで各クラスの練習や、発表会へ出向く。体幹の強さと、自然や人への愛が伝わるフラが魅力。


⚫︎都築真弓

【はじめに】

「運動が苦手で引っ込み思案な貴女が、なぜプロスポーツ選手に?なぜフラやヨガの先生に?」私を幼少期から知る人は驚きます😊

こうして伝える側の立場になった今、それらが得意じゃなかったからこそ、十人十色の皆さんとの関わり方があるし、私だからこそ伝えられることがあるんじゃないかと思う。

自分の生い立ちや、子育てがまた、誰かの心にとまったり、役に立ったら嬉しいなと、プロフィールを兼ねて、少しずつこのページに書き足していこう(頑張って端折ります💪)と思いますので、お時間ある時にでも、また、ふらっと立ち寄って読んでみてください😊

【幼少期】

・引っ込み思案
「・・・」
幼稚園で私の声を聞いたことのない友だちは多かったと思います。人や場所に慣れるのに人一倍時間がかかっていましたね。誰かの陰にいつも隠れ、優しい友だちが話しかけてくれても声が出ず『あぁ、みんな私のことはどうか気にしないで』と思っていた幼稚園時代の感情を今でも覚えてる。それでも仲間外れにされず、ごっこ遊びでは喋らなくていい"赤ちゃん"の役😌🙏耳元でしか話してこない私のことを見守り続けてくれた先生にも感謝しています🙏

・運動が苦手
姉や親しい友だちと遊ぶのは好きだれけど、学校の体育の授業は嫌いな子ども時代。それでもなぜ運動そのものをを全く嫌いにならなかったのか。こうして書きながら振り返ると、両親の私への関わり方のお陰だと気付きました。
苦手なものを"頑張れ"と言われたことはなく、でも、暮らしの中で、苦手なことにも何となく寄り添ってくれていた記憶が蘇る。例えば、日曜日に公園でいっぱい一緒に遊んだり、そろばん塾の帰りにランニングをしたり、部活は運動部に入ろう!と提案してくれたり……。

⚫︎出来る人にならなくていい
個性を大切に、笑顔の日々、暮らし、営み

【小学生時代】

小学生の頃は、運動の中でも一番苦手な水泳部に入りました。『やりたい!』ではなく、『苦手だから克服したい』気持ちから。
誰にも期待をされていないことが気楽でありながらも、少しずつステップアップを目指してましたね。
そんなある日、飛び込み練習が始まり、どうしても怖くてできなかった私は『できないものは仕方ない』の持論を引っ提げ先生の元へ。
「私にはできません。」
「そうか。お前が"できない"とは思わなかった。」
そのままUターンして飛び込み台へ歩き、ざぶん。飛び込みました。大好きな先生のガッカリした顔をみて、悔しいし、さっきまで信じてもらっていた気持ちに、応えたかったんですね。

水泳部では表彰台とは無縁でしたし、大会の緊張感はいつまで経っても大の苦手でしが、泳ぐことは少しは得意に。

でも、その頃の私には想像もつきませんよ。水に関わるスポーツで、まさかのプロスポーツ選手!しかも一応(本当に実力は伴っていないん)ですが、名前だけでも日本のトップ選手にまでなれたんですから。

⚫︎先生や親の言動が生徒や子どもにどう刺さるのか、刺さらないのか、それは分からないけれど、私は信じる先生で、親で、ありたい。

【中学生時代】

中学二年生までは運動は、おおよそ平均位だったのかな。出来る方ではなかったことは確か。それが中学三年生の時に急に何もかもがグン!と出来るように。体力測定ではほぼ全ての種目がトップ、マラソン大会も学校で一番にゴールをし、それでもまだ体力があまるほど。芯から湧き出るような気持ちよさを今でも覚えてる。体育の先生にも、陸上の強い高校を勧められたほどでした。

⚫︎私たちには可能性!そして伸び代しかない!
人にはそれぞれのペースでの成長期が、あるのです👍このお仕事をして更に知るのですが、それはいくつになっても!!なんです🤝

【勉強のこと】

【高校生時代】

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